映画美術監督・部谷京子さんと映写機の前で記念撮影
父の映写機を寄贈した時、受領式をしていただいた映像文化ライブラリーのステージで
周防正行監督・映画「シコふんじゃった」で使用された「教立大学相撲部」の看板の前で撮影しました。
~広島市映像文化ライブラリーにて~
35ミリと16ミリの映写機2台の受領式
松井広島市長様から、広島市へ寄贈させて頂いた35ミリと16ミリの映写機2台の受領証を戴きました。
私の実父が、戦後広島で製作した2台の映写機は広島市映像文化ライブラリーへ2017年4月20日に常設展示されました。
2016年7月19日、口和資料館の安部館長様が35ミリの映写機を稼働され上映会を開かれました。
私と母は、長年35ミリの映写技師でいらっしゃった岡崎氏と一緒に上映会へ行きました。
上映会で、当時父の会社へ勤務されていた谷氏に50年ぶりに偶然お会いしました。
再会。奇しくも、この日は父の命日でした。
広島市映像文化ライブラリーへ常設されたり、長年父の会社で働いていた方と50年ぶりに再会したり奇跡のような出来事にいつも感動致します。
そして、いつも私の背後には父が付いていてくれていると信じています。
私は、日常生活の中で奇跡のような出来事が起こるたびに「父」にお礼を言っています。
今年93歳になる「母」が、受領式に出席してくれたことが一番嬉しかったです。
16ミリの映写機は、戦後はエルモ社の大手メーカーでしか製作されていませんでした。
個人で、16ミリの映写機を製作したのは珍しい上に16ミリの映写機で設置型はほとんどないそうです。
戦後、父の会社で製作した35ミリの映写機は中国地方や北九州で販売されました。
納品されていた、映画館。
鷹野橋のサロンシネマ。皆実町の南座。呉の呉シネマ。呉中通り、第1劇場。リッツ劇場。
船越銀映。福山の地球座。地球座は、藤本保太郎氏の映画館で大黒座、日米館も経営されていました。
下関市の若草映画劇場。光市にも、よく父に連れて行ってもらっていました。光市にも納品していたと思います。
受領式
広島市中区八丁堀の福屋です。
現在の写真と70年前の同じ場所からの写真とを比べてみてください。
2012年8月19日 長年、35ミリの映写機の映写技師・中村氏と修理専門技師・岡崎氏により父の映写機はオーバーホールされました。
オーバーホールは、お二人の手により丁寧に進められました。
2015年4月13日、岡崎氏に16ミリの映写機を稼働させるため映画図書館から搬出して頂きました。
パンフレット
1953年8月製作
当時の映写機を知る貴重な写真です
センターは登録商標名、父の会社「中央映機製作所」から名づけた
写真左、映写するための光源用カーボン
右、部品が出来たときに押す刻印
側面に小さく「CENTER」と彫られています
1955年製