父との想い出~35mm映写機~

 

 
 
父の会社「中央映機製作所」から名づけた
センターCS-A8型発声型映写機
昭和28年8月製作

中央映機製作所の映写機を
お持ちでないですか?

映画美術監督・部谷京子さんと映写機の前で記念撮影

父の映写機を寄贈した時、受領式をしていただいた映像文化ライブラリーのステージで
周防正行監督・映画「シコふんじゃった」で使用された「教立大学相撲部」の看板の前で撮影しました。
~広島市映像文化ライブラリーにて~

2021年3月24日
映画美術監督・部谷京子さんと父の映写機の前で撮影しました。
父もきっと、部谷京子さんとの出会いを喜んでくれていると思います。
~広島市映像文化ライブラリーにて~

35ミリと16ミリの映写機2台の受領式

松井広島市長様から、広島市へ寄贈させて頂いた35ミリと16ミリの映写機2台の受領証を戴きました。
私の実父が、戦後広島で製作した2台の映写機は広島市映像文化ライブラリーへ2017年4月20日に常設展示されました。
2016年7月19日、口和資料館の安部館長様が35ミリの映写機を稼働され上映会を開かれました。
私と母は、長年35ミリの映写技師でいらっしゃった岡崎氏と一緒に上映会へ行きました。
上映会で、当時父の会社へ勤務されていた谷氏に50年ぶりに偶然お会いしました。
再会。奇しくも、この日は父の命日でした。
広島市映像文化ライブラリーへ常設されたり、長年父の会社で働いていた方と50年ぶりに再会したり奇跡のような出来事にいつも感動致します。
そして、いつも私の背後には父が付いていてくれていると信じています。
私は、日常生活の中で奇跡のような出来事が起こるたびに「父」にお礼を言っています。
今年93歳になる「母」が、受領式に出席してくれたことが一番嬉しかったです。

 
 
 
 

 

左から、広島市映像文化ライブラリー佐藤館長様、
                            映写技師岡崎様、広島市生涯学習課高原様
ステージ左から、(司会進行)笹口広島市生涯学習課課長様
       夏明広島市映像文化ライブラリー館長様、 谷本広島市市民局長様。 
dscf0069.jpg p1130965.jpg cimg0825.jpg p1130980.jpg p1130982.jpg cimg0826.jpg p1130996.jpg dscf8166.jpg p1130991.jpg p1130988.jpg
2台の映写機は特別に素晴らしいケースへ入れて展示されています
 
35ミリのヘッドマシン
 
映写機が完成すると工場の中で映写機の背後へ白い幕を張り記念撮影しました

父と私です。安芸郡海田町に住居がありました。車背後の家は、元広島東洋カープ三村監督のご実家です。
私の遊び場でもありました。

16ミリの映写機は、戦後はエルモ社の大手メーカーでしか製作されていませんでした。
個人で、16ミリの映写機を製作したのは珍しい上に16ミリの映写機で設置型はほとんどないそうです。
戦後、父の会社で製作した35ミリの映写機は中国地方や北九州で販売されました。
納品されていた、映画館。
鷹野橋のサロンシネマ。皆実町の南座。呉の呉シネマ。呉中通り、第1劇場。リッツ劇場。
船越銀映。福山の地球座。地球座は、藤本保太郎氏の映画館で大黒座、日米館も経営されていました。
下関市の若草映画劇場。光市にも、よく父に連れて行ってもらっていました。光市にも納品していたと思います。

受領式

センターの映写機が掲載されている映画専門誌センター
原爆の惨状を訴える映画「ひろしま」

原爆の惨状を訴える映画「ひろしま」

 
1953年、安芸郡海田町で映画「ひろしま」の映画撮影がありました。 この写真は、私が幼稚園児として通った海田町真宗寺での撮影現場です。 映画撮影用のカメラの右側には、映画「ひろしま」の関川秀雄監督。
カメラ右側は、熊井啓監督です。 父が撮影した、映画ロケ現場のこの1枚の写真で沢山の方に繋がりました。

 
 
 

原爆の惨状を訴える映画「ひろしま」は、被爆者を含む9万人ものエキストラや、ベルリン国際映画祭で受賞しながら日本で上映される機会がありませんでした。 当時の、助監督熊井啓氏に制作資料を託された映画プロデューサー小林一平氏が志半ばで今年2月にお亡くなりになりました。 小林一平氏とは、映画「ひろしま」を海田町で写真撮影していたことがご縁で、戦後父が広島で製作していた35ミリの映写機を八丁座映画図書館へ寄贈する際に大変お世話になりました。   写真左・35ミリの映写機センター。 写真右・16ミリの映写機。当時はエルモ等大手の会社しか16ミリの映写機は製作していなかったそうです。

 
 

広島市中区八丁堀の福屋です。
現在の写真と70年前の同じ場所からの写真とを比べてみてください。

 
1953年
2015年8月1日
 
 
父の映写機のオーバーホール

2012年8月19日 長年、35ミリの映写機の映写技師・中村氏と修理専門技師・岡崎氏により父の映写機はオーバーホールされました。
オーバーホールは、お二人の手により丁寧に進められました。

 

整然と並べられた道具。
 

35ミリの映写機、ヘッドマシン要の部分です。
オーバーホール後、油をさすと生き生きと甦りました。

 

 

 
 

2015年4月13日、岡崎氏に16ミリの映写機を稼働させるため映画図書館から搬出して頂きました。

 

 
 
故・小林一平氏のご意志を継がれた小林開氏と父の映写機の前で。
 
 
 
1950年代の16ミリ劇場設置型映写機を寄贈させて頂きました
読売新聞2013年8月26日 「映画図書館に県内製映写機1950年代の2台寄贈」
八丁座映画図書館
パンフレット

 

センターCS-A8型発声型映写機
1953年8月製作
当時の映写機を知る貴重な写真です
センターは登録商標名、父の会社「中央映機製作所」から名づけた

 
 
 
 
 
 
 
 
 

刻印

写真左、映写するための光源用カーボン
右、部品が出来たときに押す刻印
側面に小さく「CENTER」と彫られています
 
16ミリ劇場設置型映写機
1955年製